名古屋高等裁判所 昭和44年(行コ)9号 判決 1970年5月28日
名古屋市千種区高見町一丁目一二番地
控訴人
永瀬栄
右訴訟代理人弁護士
水野祐一
名古屋市東区主税町三丁目
被控訴人
名古屋東税務署長訴訟承継人 名古屋千種税務署長
右指定代理人
新保喜久
同
井原光雄
同
山下武
同
野々村昭二
右当事者間の昭和四四年(行コ)第九号所得税更正決定取消請求控訴事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原判決を取消す。
被控訴人が昭和四一年七月二〇日付で控訴人に対しなした名古屋東税務署第九九五号昭和三九年分所得税更正並びに過少申告加算税賦課決定を取消す。
訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用および書証の認否は、左記のとおり附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここに、これを引用する。
控訴代理人の陳述
税務署長は、納税者から納税申告書が提出された場合は、その納税申告書に記載された課税標準又は税額の計算その他について調査をつくし、適正公平な課税をなすべきものである。本件において、控訴人は租税特別措置法第三五条の適用をうけるため、所定の事項を確定申告書に記載し被控訴人に提出したのであるから、被控訴人が右の調査をつくし、適正な課税をなすべきことは当然の責務である。しかるに、被控訴人は右の調査をつくさず、すなわち、右申告書の譲渡価額に関し、申告額金一四〇〇万円を金一七〇〇万円と更正しながら、取得価額に関しては全然調査をせず、申告額金七九二万三、五六〇円に従つている。しかし、取得価額は右申告額ではなく金一〇五二万三、五六〇円であり、このことは本訴において被控訴人の認めているところである。従つて、被控訴人は真実の取得価額とは異なる価額を基にして本件更正決定をしたものであり、これは適正な課税ということができず違法であつて取消さるべきものである。
原判決は、被控訴人のした本件更正決定が右のとおり真実に副わない課税であることを認め、且つ税務署長に右の調査義務の存することを是認しながら、前者については、控訴人が「確定申告書に記載した取得価額が買換資産の時価より著しく低額であつたとも認められない」とし、「右記載の取得価額が時価より著しい低額でない以上は」「その取得価額が低額であるとして、本件更正決定の違法を主張することは許されない」と判示し、又後者については、「取得価額なるものは、収入のための経費に似たところがあり、過誤によらない限りは、申告者において自己に不利に実際の取得価額より低額に記載することは通常あり得ないから、本件において被控訴人が取得価額につき深く調査しなかつたとしても、被控訴人が責を果していないとはいえず」と判示し、結局、被控訴人のした本件更正決定には違法がなく、控訴人の本訴は失当である旨説示しているが、控訴人は右の判示には承服することができない。前記のごとく税務署長は納税の申告をうけたときは、その申告について調査をつくし、適正な課税をなすべき責務を有するのであるから、被控訴人は申告書に記載された譲渡価額は勿論取得価額についても調査をつくし真実に合致した適正な更正決定をなすべきであつたのであり、そうすると、原判決が判示するように、取得価額は申告書記載のそれが買換資産の時価より著しく相違している場合に限り右の調査をなすべきであり、両者に著しい相違がない以上右の調査をせず、従つて、真実の取得価額が異なる場合においても、申告書記載の取得価額を基にして更正決定をしても適法であるとの見解が誤りであることは多言を要しないところである。
更に、原判決は控訴人の錯誤の主張を排斥したが、右は誤りである。すなわち、概に最高裁判所昭和三九年一〇月二二日判決は「確定申告書の記載内容の過誤の是正については、その錯誤が客観的に明白且つ重大であつて、前記所得税法の定めた方法以外にその是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でなければ、所論のように法定の方法によらないで記載内容の錯誤を主張することは、許されないものといわなければならない。」と判示し、錯誤の主張には厳格な要件を要求しているが、しかしこれが認められる場合のあることを明らかにしているのである。これを本件についてみれば、本件はいわゆる修正申告をなし得る場合ではなく、又いわゆる減額更正の請求をなし得る期限は既に徒過しているけれども、(イ)取得価額が金一〇五二万三、五六〇円であつて金七九二万三、五六〇円でないことは、被控訴人も認めている客観的に明白な事実であつて、且つこれが税額そのものに大きな影響を与える客観的に重大な事由であり、(ロ)これを是正しなければ、納税義務者は税務署長のなすべき調査義務懈怠により、本来負担すべきもの以上に高額の租税を不当に負担する結果となり、その利益を著しく害することとなるから、前叙に照らし、控訴人の錯誤の主張は許さるべきものである。
以上の次第で本件更正決定は違法であり、取消を免れない。
被控訴代理人の陳述
そもそも譲渡所得とは、資産の譲渡による所得をいい、右譲渡所得の金額は、一般に、当該年度中の資産の譲渡にかかる総収入金額から当該譲渡資産の取得価額、設備費、改良費、および譲渡に関する経費を控除した金額の合計額である(昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法第九条第一項第八号参照)。租税特別措置法第三五条は右の譲渡所得に関し特例を定めた規定であり、個人が土地等又は家屋の譲渡をし、所定の期間内に当該個人の居住用財産を取得し且つ所定の期間内に当該個人の居住の用に供した場合において、譲渡資産の譲渡収入金額が買換資産の取得価額をこえる場合には、そのこえる金額に相当する部分の譲渡があつたものとされ、買換資産の取得価額に相当する部分については、譲渡資産の取得時期および取得価額等をそのまま引継ぐいわゆる買換資産の取得価額の圧縮記帳の方法が認められている。すなわち、右特例の適用がなされることにより、右買換資産が後日譲渡される時まで、右買換資産の取得価額に相当する部分の譲渡所得課税の繰り延べを認めようとするものであつて、それは非課税ないし免税の規定とは自ら異なるものであり、又右買換資産の取得価額は、譲渡所得の計算上当然に収入金額から控除される譲渡資産の取得価額とは全くその性格を異にするものである。
右租税特別措置法第三五条の適用の有無は、すべて納税者の意思に委ねられているから、単にいわゆる居住用財産の買換の事実があつたからといつて、そのことから直ちに同法条が適用されるものでないことは当然であり、右買換をした納税者が同法条の適用をうけるためには、確定申告書に所定事項を記載し、その旨の意思を表示しなければならないものである。そこで、既に納税者が同法条の適用をうける旨の意思を表示し、確定申告書に所定事項を記載した以上、右記載に係る取得価額が真実の取得価額より低額であつたとしても、最早その差額については当然に同法条の適用を受ける余地はないものというべきである。かかる場合、税務署長は納税者の意思表示の範囲内においてその適否を判断すれば足りるのであつて、その差額についてまで判断する業務を有しないものである。
以上の次第で、本件において、被控訴人が買換資産の取得価額を控訴人の記載した金額にとどめて同法条を適用してなした本件更正決定は相当であるから、控訴人の本訴は理由がない。
証拠関係
控訴代理人は当審における控訴人本人尋問の結果を援用した。
理由
控訴人が昭和四〇年三月八日控訴人の昭和三九年度の所得税について所得金額(譲渡所得金額)金二五一万四、八五七円、所得税額六〇万六、〇五〇円とする確定申告書を被控訴人に提出したところ、被控訴人が昭和四一年七月二〇日付で右所得金額を金三九五万一、九二八円、所得税額を金一一七万五、七六〇円とする更正決定および過少申告加算税金二万八、四五〇円の賦課決定(両者を併わせて本件更正決定と称する)をしたこと、そこで、控訴人が所定の期間内に所定の手続を経て被控訴人に対し異議の申立をし、また名古屋国税局長に対し審査請求をしたが、昭和四二年三月二七日右審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、その裁決書謄本がその頃控訴人に送達されたこと、被控訴人が本件更正決定をした理由は次のとおりであること、すなわち、控訴人は昭和三九月五月松土幸雄より名古屋市千種区高見町一丁目一二番地宅地七一坪七合二勺および同地上の建物(以下買換資産と略称する)を金九八〇万円で購入し(但しその取得経費は金七二万三、五六〇円であり、合計取得価額は金一、〇五二万三、五六〇円である)、他方昭和三九年九月控訴人所有の名古屋市東区葵町一五番地の一宅地一〇三坪八合(以下譲渡資産と称する)を山崎圭一郎に金一、七〇〇万円で売渡し、右売買はいわゆる居住用財産の買換の場合にあたり、租税特別措置法(以下措置法と称する)第三五条の適用をうける事案であつたので、前記確定申告の際、同条第三項の各要件を充足し、同条項の適用を受けようとする旨および収入金額、土地等の明細、取得価額その他大蔵省令で定める事項をいずれも記載して申告したが、ただその際控訴人は譲渡資産の譲渡価額を金一、四〇〇万円とし、買換資産の取得価額を金七九二万三、五六〇円(但しうち金七二万三、五六〇円は取得経費である。以下取得価額は取得経費を含むものとする。)と圧縮記載して申請したところ、被控訴人は調査の結果右譲渡価額は金一、七〇〇万円と認められるとして右金額に更正したが、買換資産の取得価額については控訴人の申請額に拘束されるものとして真実の取得価額に更正しないで同法上による譲渡所得の収入金額とみなす金額は金九〇七万六、四四〇円であると認め、その結果前記のとおり本件更正決定したものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。
そこで、本件において、被控訴人が右のとおり買換資産の取得価額を控訴人の当初の申告どおりの金七九二万三、五六〇円にとどめ、措置法第三五条を適用してなした本件更正決定の適否について検討する。
措置法第三五条は、いわゆる居住用財産の買換の場合の譲渡所得の金額の計算につき所得税法の特例を規定したものであるが、措置法第三五条によれば、本件のように譲渡資産の譲渡価額が買換資産の取得価額をこえる場合の譲渡所得の金額は、譲渡資産のうちそのこえる金額に相当する部分の譲渡があつたものとして政令で定めるところにより計算した金額とする旨定められている(同法条第一項第一号)から、被控訴人は、本件更正決定をするに当つては、控訴人が譲渡した譲渡資産の譲渡価額金一七〇〇万円から買換した買換資産の取得価額として争いのない金一、〇五二万三、五六〇円を控除した差額金六四七万六、四四〇円の譲渡があつたものとして政令で定めるところにより計算した金額を譲渡所得とみなし、これに基づき更正決定をなすべきであつたのである。しかるに、これに反し、被控訴人が前記のように買換資産の取得価額を控訴人の申告どおり金七九二万三、五六〇円として、これを譲渡資産の譲渡価額から控除した金額の譲渡があつたものとみなし、本件更正決定をしたのは、明らかに同法条の定めに反し違法であるものといわねばならない。
被控訴人は、措地法第三五条の適用に当つては、買換資産の取得価額については、控訴人が確定申告書に記載した価額に拘束される旨主張するので案ずるに、措置法第三五条は前記のようにいわゆる居住用財産の買換の場合の譲渡所得の金額の計算につき所得税法の特例を規定しているものであるが、納税者が同法条の適用をうけるためには、確定申告書に同法条の適用をうけようとする旨並びに所定事項をこれに記載しなければならないものである。そして、所得税法はいわゆる申告納税制度を採用しているものであるが、措置法第三五条の適用をうける申出についても、これと同様税務署長において、右申出に基づく課税のため、これに対応する処分を要する旨の定めは見当らないから、右の申出も申告納税制度における申告の範ちゆうに属するものと解するを相当とし、従つて、本件において、控訴人が確定申告書の記載事項中買換資産の取得価額について誤つた価額を記載したとしても、同法条の適用をうける申告として欠けるところがないものというべきである。そして、税務署長は、納税者のした納税の申告について、その課税標準等又は税額等の計算が租税法の規定に従つていなかつたとき、その他について調査をすべきであるが、右の調査は納税者に適正公平な租税負担を実現するため税務署長に課せられた責務であつて、その調査の範囲は右の趣旨に鑑み納税者の有利不利にかかわらないものであり、かような税務署長の調査責務は、右措置法第三五条の適用をうける申告についても同様に存するものと解せられるから、本件において、被控訴人は買換資産の取得価額についてもこれを調査してその真実の価額を明らかにし、その価額、他の調査資料等を基礎として適正公平に本件更正決定をなすべきものであつたと認められる。従つて、これに反し買換資産の取得価額は控訴人の確定申告書に記載された価額に拘束されるとする控訴人の主張は採用することができない。
そこで、次ぎに、控訴人がその主張のように措置法第三五条の適用をうけようとして確定申告書に譲渡資産の譲渡価額および買換資産の取得価額をいずれも真実の価額と異なる価額に圧縮して記載した申告をしながら、のちに税務署長がその申告にかかる譲渡資産の譲渡価額だけを真実の価額に更正してなした更正決定に対し、異議の申立をなし得るかどうかについて検討を加えることとする。
所得税法の採用している前記申告納税制度の下においては、納税者が確定申告書を提出してその納税義務を確定した後は、その納税義務の確定を納税者の不利益に変更する場合は修正申告の手続により、又これとは逆に納税義務の確定を納税者の利益に変更する場合は更正の請求の手続によることとされ、右の更正の請求は法定の申告期限より一定期間に限りこれをなし得るので、右の期間を徒過した後は、納税者は最早申告金額を納税者の利益に変更することを求め得ないものとされているのであるが、本件において、措置法第三五条による譲渡所得の収入金額とみなす金額は、控訴人の申告においては譲渡価額金一四〇〇万円から取得価額金七九二万三、五六〇円を控除した金六〇七万六、四四〇円となるのに対し、控訴人の本訴における主張においては譲渡価額金一、七〇〇万円から当事者間に争いのない取得価額金一、〇五二万三、五六〇円を控除した金六四七万六、四四〇円であり、この金額は、本件更正決定における譲渡価額金一、七〇〇万円から取得価額金七九二万三、五六〇円を控除した金九〇七万六、四四〇円よりも少額ではあるが、なお控訴人の右申告における金六〇七万六、四四〇円よりは高額であり、従つてこの金額により更正決定をしても、控訴人の申告した税額よりも多額の税額に更正することとなることには変りがないものであり、かかる税額の更正が前記申告納税制度の建前にもとるものとは考えられないから、控訴人の右異議の申立は許されるべきものと解するを相当とする。
以上の次第で、被控訴人のした本件更正決定は、控訴人のその余の主張について判断をするまでもなく違法として取消を免れない。
よつて、これと結論を異にする原判決は不当であるから、原判決を取消し、控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 布谷憲治 裁判官 福田健次 裁判官 杉田寛)